ハンバートハンバートは夫婦で馴れ初めは文化祭!6人編成から2人が残った理由は?

2025年末のNHK紅白歌合戦に初出場が決定したハンバートハンバート。

夫婦デュオとして25年以上活動を続けている2人ですが、どのように出会い、結婚に至ったのか気になりますよね。

そこで今回は、ハンバートハンバートの夫婦の馴れ初めと、6人組バンドから2人だけが残った理由について詳しくお伝えします。

目次

ハンバートハンバート・2人の馴れ初めは大学の文化祭

ハンバートハンバートの佐藤良成(さとう りょうせい)さんと佐野遊穂(さの ゆうほ)さんが出会ったのは、1998年の大学時代でした。

良成さんは早稲田大学、遊穂さんは和光大学に在籍していました。

二人の最初の接点は、遊穂さんが通っていた大学の文化祭に良成さんが遊びに来たことでした。

この偶然の出会いが、後に夫婦デュオとして活動する二人の運命を変えることになります。

当時、良成さんは都会的でオシャレなバンドを作ろうと考えていました。

ホーンや女性コーラス隊を従えた華やかなバンドを構想していた良成さんは、和光高校時代の友達を通じて遊穂さんと知り合います。

そして、コーラスを入れてほしいという依頼で、遊穂さんがバンドに参加することになったのです。

(佐野)デモテープを作るからコーラス入れてくれない? と頼まれ、やるやる、と。

出典:朝日新聞

すごくカラオケが好きだった遊穂さんが快諾してくれたのも縁の始まりだったのでしょう。

ハンバートハンバート・6人組バンドから夫婦デュオへ

良成さんの依頼でデモテープ制作に参加した遊穂さんですが、予想外の展開が待っていました。

良成さんは当時のことをこう振り返っています。

「合わせたら遊穂の方が歌がうまくて、みんなが一斉に『遊穂が歌った方がいいよ』と。コーラスしてもらうつもりが、気がついたら前に立たれてた(笑)」

こうして、当初は6人組のバンド「ハンバート ハンバート」として活動を開始しました。

バンド名は当時、良成さんがロシア文学の授業で、ウラジーミル・ナボコフの小説「ロリータ」をちょうど読んでいて、深く考えず語感が気に入ったことで付けられました。

その後、転機は大学卒業後に訪れます。

他のメンバーは就職活動を始め、次々とバンドを離れていきました。

結果として残ったのが良成さんと遊穂さんの2人だけで、自然とデュオの形になっていったのです。

最初のメンバーは抜けたけど、当時の曲はバンドでやるのが前提になっているような感じだったので、結局知り合いのミュージシャンを誘ってバンド編成でライブをやっていました

出典:音楽ナタリー

メンバーが抜けても挫折感なく音楽活動を続けられたのは、デュオの温度感が良かったからなのでしょうね。

ハンバートハンバート・売れない時期も支え合った

6人組バンドから2人だけが残り、夫婦デュオとして活動を続けられた理由は何だったのでしょうか。

遊穂さんはこう語っています。

「二人でやっていたことも大きかったと思います。良成は『好きな音楽をやっていく』ということしか考えてなくて、私にない強いこだわりがある。それがあれば大丈夫だと思えて、私はただそれにくっついて来た」

一方、良成さんも遊穂さんの存在の大きさを認めています。

「遊穂が『大丈夫、大丈夫』って能天気だったからやってこられた。一人じゃダメだったかもしれません」

良成さんの「絶対ミュージシャンになる」という熱量と、遊穂さんの「がんばってやっていこうよ」という自称能天気な波長がうまくマッチしてお互いを支え合い、売れない時期も乗り越えてきたことが現在の成功につながっています。

2001年に1stアルバム『for hundreds of children』でCDデビューを果たし、現在は3人の男の子の両親でもある二人。

家族と音楽活動を両立させながら、2025年末にはNHK紅白歌合戦に初出場が決定し、25年以上の活動が実を結んでいます。

まとめ

今回は、ハンバートハンバート夫婦の馴れ初めと、6人組バンドから二人だけが残った理由についてお伝えしました。

大学の文化祭での出会いから始まり、コーラス依頼が予想外の展開となって6人組バンドを結成。

そして、他のメンバーが去った後も、お互いの性格が補完し合う関係性で25年以上活動を続けてきました。

音楽を通じて出会い、公私ともにパートナーとなった2人の物語は、とても温かく素敵なストーリーでしたね。

結成27年目で紅白に初出場ですが、息の合った演奏を見られるのは今から楽しみです。

それでは、ありがとうございました。

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